装置と歯並び
私が矯正治療について考えるときは、歯と顎を分けて考えます。
例えば、成人で歯列に凸凹がある症例といっても、以下に示すように上下顎の関係性は様々です。
①上下顎の前後関係が上顎前突傾向のもの
②上下顎の前後関係が反対咬合傾向のもの
③上下顎の前後関係が正常なもの
③上下顎が共に突出しているもの
④上下顎の垂直的関係が接近しているもの
⑤上下顎の垂直的関係が離れているもの
⑥その他
ざっと考えてもこれだけあります。
当然のことながら、治療方法はそれぞれ変える必要があります。
単に歯列の凸凹を解消するのみならず、上下顎の関係、顎顔面全体への配慮が求められます。実際の臨床では口腔周囲筋、習癖、補綴物その他いろいろな条件があり、治療を複雑にします。
【初診】
18才 女性
検査資料を分析した結果、骨格的な問題はありませんでした。上記③に相当します。
一方、凸凹の程度は著しく、抜歯分析は抜歯判定となりました。
本症例をみて顎が狭いという人がいるかもしれません。
ちまたでは、顎が狭いと理由を付けて(実際には狭くない)、矯正治療に勧誘する歯科医師がいたり、狭くない顎を拡げることで事故が起きています。最初から、歯列の拡大の話しが出たら、気をつけたほうがいいでしょう。
顎の狭さを論ずるには模型分析が必要です。
模型分析で得られた、骨の幅と歯列の幅のデータを平均値と比較して、やっと顎の狭さが判定できるのです。
だから「見た目やレントゲン写真からは顎の狭さは判断できない」のです。
【治療後】
歯列の凸凹は解消され、きれいな歯並び・咬み合わせになりました。
顔の写真は掲載していませんが、もともと綺麗な横顔のシルエットを崩すことなく仕上げています。
使用した矯正装置はマルチブラケット装置、ブラケットとワイヤーからなる矯正装置です。この装置の優れた点は、私の意思を確実に反映してくれことです。すなわち、この歯を何ミリ後ろに移動、何度右へ・左へ回転、あの歯は移動させない、という具合に、術者の舵とりで微妙な調整が可能です。矯正装置は「力」を歯に伝達する道具なので、私の要求に足るものでないと困ります。マウスピース矯正でそれが出来るかどうか、はなはだ疑問なところです。
また、どんな矯正装置を使用したところで、術者に知識と技術が備わっていないと、治るものも治りません。
矯正治療を考える場合は、装置よりも結果を重要視すべきです。
成人 開咬症例
奥歯は咬んでいるのに、前歯は咬んでいない、開いている。
不正咬合の一種で、開咬(かいこう)と言います。
程度の差はありますが、めずらしい症例ではありません。
子どもから大人まで、年齢に関係なく存在しますが、あなたは大丈夫ですか。
原因は種々ありますが、治療にあたっては正確な診断が必要です。
【初診時】
女性 30代
検査・診断を経て、マルチブラッケト治療をはじめます。
普通にやって治る症例と普通にやっていては治らない症例があります。
本症例は後者です。難しい症例こそ、基本に忠実な治療が必要ですが、
テクニックのちょっとした匙加減が治療成績に影響するので、そのことを分かっていないと、こういう症例は治りません。
【治療後】
治りました。
治療期間は16カ月。
矯正装置を付けても、自動的に歯並びは治っていきません。定期的に装置を調整します。また、症例によっては本人の協力が必要となります。本症例では、ある時期、顎間ゴム(矯正用の小さな輪ゴム)の使用を命じています。顎間ゴムは自分で取り外しが出来るぶん、使う使わないは本人にゆだねられます。指示どおり使って下さい。
近年、アンカースクリューが、よく使用されているようですが、基本的な知識と術式が不要になったわけではありません。当然、本症例では使用していません。
日本矯正歯科学会認定医は全国で約3,000人います。これは歯科医師全体の3%にすぎません。資格取得までのハードルが高いので、その道を志す歯科医師が少ないということの表れです。いっぽうで、セミナーなどを受講しただけの歯科医師が矯正治療をしているという現実があります。良質な矯正治療を受ける場合は、担当医が日本矯正歯科学会認定医であるか、同学会のホームページで確認することを勧めます。
抜くか抜かないかの話
そもそも抜く抜かないはどのようにして決めるのか、説明します。
診断には精確な検査資料が必要です。
例えば、頭部エックス線規格写真(横顔のレントゲン)の撮影時に0. 数ミリでも咬み合わせにずれがあっては、そのレントゲン写真は使えません。石膏模型では、歯は当然として、顎の隅々まで精確に解剖学的構造が再現されている必要があります。当然レントゲン写真と石膏模型の咬み合わせは同じであるはずです。一般診査では症例の特徴を把握します。
頭部X線規格写真を分析する(セファロ分析)。
①レントゲン写真にトレーシングペーパーを重ねあわせ、セロハンテープで固定する。
②解剖学的構造をシャープペンシルでなぞり、トレーシングペーパーに転写する。
③得られた図に、所定の法則にのっとり基準となる点をマークする。
④各点を結ぶ角度や距離を計測し、その年齢の日本人平均値と比較する。
模型分析をする。
①歯列の長さと幅を計測する。
②歯槽基底(骨)の長さと幅を計測する。
③個々の歯の大きさを計測し、かつその総和を算出する。
④凸凹の量を算出する。
⑤得られたデータは日本人の平均値と比較する。
抜歯分析をする。
抜歯分析はセファロ分析項目の前歯の位置(口元の突出ぐあい)と模型分析項目の凸凹の量に該当する数値から計算式で求めます。結果は数値で表されます。その他に一般診査などを参考にして総合的に抜歯・非抜歯を判断します。
こうして抜歯・非抜歯が決まります。
非抜歯判定は歯を抜かない矯正治療に、抜歯判定は歯を抜く矯正治療になります。しかしながら、何事もボーダーラインというものがあります。私は抜歯判定であっても、ボーダーラインに近いものは、非抜歯治療になるように治療方針を組み立てます。
今回は、そのボーダーラインの症例です。非抜歯になるように手を尽くします。
【初診時】
17才 男性
下顎の前歯に凸凹があります。
セファロ分析の結果、下顎前歯の位置は平均値よりやや前方に位置していました。
【治療後】
治療期間 18ヶ月
下顎の前歯の凸凹を解消する過程で、口元が突出しないように工夫しました。
全体の咬み合わせも良好となりました。
抜歯症例であってもボーダーラインの場合であれば、非抜歯治療が可能なこともあります。なお、歯列の拡大はしていません。
歯列を拡大する場合は、狭いという根拠が示されたときに限られます。本症例の歯列と歯槽基底の値は標準でした。
狭くない歯列を拡大したり、拡大装置の適応外使用による事故があります。患者側の防衛策としては、担当医が日本矯正歯科学会認定医であるか、同学会のホームページで確認すると良いでしょう。
複雑なものは単純にするといい
年齢が上がると歯の移動速度が遅いとか、治療期間が長くかかるとか、
そんなことはありません。とくに矯正治療が難かしくなるわけではありません。
ただ、差し歯やブリッジなどの補綴物(ほてつぶつ)があったり、歯周病になっている場合は、そちらへの対応が必要になることはあります。
私は基本的に年齢制限はないと考えています。
今回は、歯周病、補綴物、欠損歯という条件のある症例です。
【初診時】
女性
人間は一人ひとり違うように、同じ診断はなく、治療方針も個々の症例で違います。
歯周病、補綴物、欠損部位などの条件をふまえて、その時点での最善の方法を考えます。
歯列の凸凹が顕著です。
抜歯部位、スペースの処理に工夫はしますが、矯正治療をする上で、いつもとやることは変わりません。
【治療後】
動的治療期間は1年8ヶ月。保定に移行します。
歯並び・咬み合わせは改善しました。
色や形は、このあと修正すれば良いでしょう。
初診時の本症例は、歯列の凸凹が顕著で収拾がつかない状態でした。
それを治すのが、私の仕事です。
検査資料を読み解き、問題点を整理していきます。
複雑を単純に、混乱を整頓へと導きます。
成人の矯正治療が、とりわけ難かしいわけではありません。むしろ術者の指示をきちんと守ってくれるのもこの世代であり、歯磨きが良好な点も治療に有利にはたらきます。
これまで矯正治療の機会がなかった方、
今日がその機会です。
はじめるのに遅いということはありません。
矯正治療という名の誤解
成人女性、歯並びを気にして来院されました。
【初診時】
矯正治療の技術を持たない場合、向かって左上の二番目の前歯を抜いて(本人の右)、その両隣の歯を細く削り、連続した差し歯、いわゆるブリッジを入れる方法をとるかもしれません。色・形を統一するとして、犬歯から犬歯の合計5本の歯を削ることを要求されることもあり得ます。恐ろしい限りです。
矯正歯科では歯の凸凹のみならず、その人の横顔、口元の突出度など顎顔面全体像を考えます。したがって、上記の様にブリッジを入れたとしても、全体の中の一部の変化にすぎず、根本的な解決にはなりません。まして天然歯を複数本削って被せ物を入れた場合、人工物はいずれ交換の可能性があり、その意味で一時しのぎの方法と言えす。
最近、この様な差し歯やブリッジなどによる、凸凹の解決方法を「矯正」と呼んでいるのを見聞きします。材料にセラミックを使用するので、セラミック矯正とネーミングしています。注意したほうがいいでしょう。
矯正治療で治します。
【術後】
各歯科医院ではホームページで情報を発信しています。
ルールとモラルに照らし合わせて広告するのは結構ですが、誇張や誤解を招く表現は困ります。前出のセラミック矯正など、その典型例です。差し歯やブリッジなどの補綴物(ほてつぶつ)による治療を矯正治療と呼ぶのは、ホームページを見る人に誤解を与えます。これは補綴治療(ほてつちりょう)と呼ぶもので、矯正治療とは異なるものです。まあ、そう呼んだ方がセールス上いいという事でしょう。
また、「はやい」とか、「痛くない」とか、「抜かない」などの表現も散見します。
私の施術する矯正治療は以下の通りです。
「はやい」:18ヶ月から24ヶ月。これは早か遅いか。いかがでしょうか。
「痛くない」:痛くないというのは嘘、不快症状はあります。
「抜かない」:抜く必要がなければ抜きません。抜く必要があれば抜きます。
矯正治療に魔法はありません。丁寧に淡々と仕事をするだけです。
昔から、うまい話に気を付けろと言います。現代のホームページにも通じるようです。
下顎は拡大してはいけない
次の2枚の写真は同じ症例です。
混合歯列期と永久歯列期に撮影したものです。
(混合歯列:乳歯と永久歯の混合)
前歯の凸凹がどうなったか見比べて下さい。
7才 12才
前歯の凸凹の程度が少なくなりました。
さて、ここで問題です。
私は何をしたでしょうか。答えは後ほど。
症例の全体像を見てみましょう。
【初診時】
7才 男子
検査資料を分析して診断をたてます。
前歯に不良な接触があり、下顎の一本の歯が動揺していました。その歯の歯肉は退縮しています。
第一段階の目的は、この機能的障害を除去することです。
【機能的障害の除去】
上顎前歯の位置を修正して、下顎の歯との接触を柔らかくしました。
この後は、定期的に観察します。
【永久歯列期】
12才、
永久歯が生えそろいました。
冒頭に、前歯の凸凹の程度がなぜ少なくなったか、私は何をしたでしょうか。
と問題を出しました。
もう一度、2枚の写真を並べます。
7才 12才
答え、「私は何もしていない」が正解です。
顎は成長で大きくなり、自然に下顎の前歯はここまで並びます。
拡大装置を入れている子どもがいますが、いかに無意味かわかりましたか。
むしろ拡大装置は正常な成長を阻害するなどの悪影響があります。
必要のない矯正治療は、子どもにいらぬ苦痛を与え、時間とお金が無駄になるだけです。下顎に拡大装置を入れる必要はありません。
この段階でもう一度、検査・診断をします。
第一段階では前歯の機能的障害の除去を(数か月)、
第二段階では全体の治療を行います(16~24ヶ月)。
矯正治療は効率的に行わなければなりません。
ダラダラと何年にもわたり装置が入っているようでは、まるでダメ。
【治療後】
計画的に治療をしてきちんと治します。
抜歯・非抜歯は好みや気分で決めるものではありません。抜歯分析をして学術的な精確性をもって判定します。
私には、初診の段階で将来の治療結果が見えています。
だから、どの段階で何をすべきか、何をしてはいけなのかの判断が出来ます。
問題の答えは、「何もしていない」でした。
何もしないのも治療上の戦略です。
矯正治療の本質をわかっていないと、無駄な治療、誤った治療が行われます。
質の良い矯正治療を受けたい場合は、日本矯正歯科学会の認定医が常勤しているかどうか、確認する必要があるでしょう。
埋伏歯 ③
最初にレントゲン写真を示します。
パッと見てどこに違和感を感じますか。
そうです。向かって左上の犬歯が引っかかって生えてこれない状態ですね。
(本人の右上)
次に、同じレントゲン写真に番号を付けました。
もう一度質問します。どこに違和感を感じますか。
向かって右の犬歯がありません。先天欠如です。
(本人の左上)
同時期の口腔内写真を以下に示します。
いつも通り、検査資料を採ります。資料をきちんと分析して診断をたてます。
【マルチブラケット治療終了時】
上下に装置を付けて治療しました。
本症例は、はじめから歯列の凸凹が少なかったので、あまり治った感じがしません。
しかしながら、見える凸凹は少ないですが、見えない凸凹が上顎骨の内にあったと考えて下さい。
【比較】
初診時 術後
初診時の方が左右対称ですっきりしていますが、そこには見えない凸凹が隠されていることを忘れないでください。
犬歯の形はとんがった頭がひとつ、一咬頭です。小臼歯は二咬頭です。犬歯の位置に小臼歯があると下顎歯列との関係、とくに顎運動時に上顎小臼歯の内側の咬頭が下顎の歯と不良に干渉する可能性があります。診査の上、必要に応じて咬合調整を行います。
矯正歯科医院では様々な症例を扱いますが、ひとつとして簡単な症例はありません。不正咬合はバランスを欠いた時に発生します。従って治療の過程はアンバランスからバランスへの道のりと言えます。到達地点は美しく機能的な歯並び・咬み合わせときれいな顔貌です。